基本情報
- 百名城番号:029
- 名称:松本城(まつもとじょう)
- 別名:深志城、烏城
- 所在地:〒390-0873 長野県松本市丸の内4-1
- 電話:0263322902
- 城郭構造:梯郭式+輪郭式平城
- 天守構造:連結式望楼型
- 備考:現存天守、国の史跡
来歴
- 1504-1520年:信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城される
- 1550年:甲斐の武田氏による信濃侵攻が開始され、林城・深志城などが落城
- 1582年:武田氏の滅亡後、織田信長により木曾義昌に安堵されたが同年6月には越後の上杉景勝に擁立され小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還。さらには徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した
- 1590年:秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移り、代わりに石川数正が入城し息子康長と共に天守・城郭・城下町の整備を行う。
のちに小笠原秀政が再び入城。大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の藩庁として機能し、水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家が代々居城とした
雑感
現存天守も四つ目にして唯一の平城、しかも国宝に名を連ねる名城です。
松本城はその外観から烏城とも呼ばれますが、戦国時代に造られたお城のうち基本的に白いお城は家康方の、黒いお城は秀吉方の武将が建てたものが多いのだそうです。秀吉は金が目立つ様にと黒地を好んだとか何とか。
実際水堀側から見る天守はそれは豪奢で圧倒的なしつらえに感じました。
惜しむらくは東京から車で3時間かかってしまった事もあり観覧所要時間50分に待ち時間30分を今回の行程にはどうしても組み込む事が出来ず、残念ながら天守に上がる事は叶いませんでした。